特集 保健所再編成の動き
第Ⅲ部 現場の声
初の保健相談所誕生
宮内 登美子
1
1東和保健相談所
pp.95-96
発行日 1971年3月10日
Published Date 1971/3/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662204880
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はじめに
わが国の公衆衛生がそろそろたそがれの時期にきたなどといわれるようになって数年になる。保健所保健婦となって20年近く,東京の下町で公衆衛生看護に従事し,つくづく地域的格差を感じさせられた。たそがれどころか,いまだに年に何件か死寸前に至った結核患者を発見し,附添のいらない病院探しにテンテコ舞をさせられることがある。国の財政の削減で全国的に保健所の数を減らさざるを得ないと厚生官僚もいっているごとく,東京都においても1960年は1保健所あたり人口170,000,1970年は174,800人と,人口の急増ほどに保健所の増設は進まず,少ない人員の中で保健婦は合理的に業務計画を考え,乳幼児相談は好むと好まざるとにかかわらず集団検診に呼び出される。やがて気軽に相談できる相談日は姿を消してしまった。
保健所とは地域住民が気軽に相談できる場所というより,まったく官僚的なお役所にすぎなくなったように思う。住民要求に追いつけずよいか悪いかは別問題として,人手不足が招いた叡知がそうさせたのであろうか。42年,生活と健康を守り平和を愛する大多数の都民の期待をうけて,美濃部革新都政は,
(1)平和を守ること,(2)民主主義を守ること,(3)健康で文化的な都民生活を実現すること,という3つの柱を基本政策に都政の中にシビルミニマムを打出し,中期計画に保健所のブランチ構想が発表された。
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