沖繩の公看活動 第9回
基地のなかのコザ
浦野 元幸
1
1三重県衛生部
pp.58-59
発行日 1969年12月10日
Published Date 1969/12/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662204554
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§コザ市--基地の町
コザ--胡差という発音はアメリカ人にとって発音しにくいというのでKozaと地名を変えられたという。那覇港近くにある山下町という地名がマレー作戦の山下将軍の名前であるからといってペリーと変えられた話もきく。戦勝者の権利でもあろうか。このコザ市が基地の町そのものである。
那覇から幹線の1号線をまっすぐに車で北上すると,浦添村に入るとともに金網にめぐらされた軍工場,施設,さらに軍需物資の集積場,パンビ飛行場,東洋一を誇る米陸軍病院,米軍専用の刑務所,丘の上には将校クラブ,下にはキャッスルクラブ,そして有名な嘉手納飛行場へつづくのである。かつての王城,首里からいっても宜野湾市のはるか手前から,一方太平洋岸,与那原から北上しても中城城趾を見上げる付近にさしかかると,軍人,軍属の住宅や軍施設がならび中城湾のホワイトビーチまでほとんど軍用地で占められている。その最大の嘉手納飛行場。B52が連日爆音高く離着陸するほか,軍用機の往来は絶え間がない。本土の200倍の密度の基地のある沖縄のまた基地の町というのだから当然でもあろうがコザ市を中心として中部の一帯は基地公害の総問屋でもある。政治問題化して誰もがしっているものだけあげてみても……
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