冲縄の公看活動 第5回
先島宮古
浦野 元幸
pp.54-55
発行日 1969年8月10日
Published Date 1969/8/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662204487
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台風銀座
宮古台風のとき本土から救援物資が送られてきた。しかし現地の被災者は感謝はしても,役に立ったであろうか。沖縄の人は遠慮深く,自ら意志を表現しないのだが…。本土の台風被害と著しく違う。本土の台風では出水による被害が大きい。ところが沖縄ではむしろ風害である。なるほど,家屋や何や吹きとばされる。衣料も食料も水をかぶる。が台風一過,あとには水をかぶっても"物"としては残る。流されることはまずないのである。南国の強い日ざしにすぐ乾燥し,少々よごれても当座の衣料,食料には困らない。台風の害はその年の収穫期に現金収入が途絶えることである。何よりも必要なのはその時期の現金収入なのである。最近,沖縄の農業は糖キビ1本になっている。風に強いキビにしてもいったん倒れると著しく質が低下する。糖業奨励で全琉がキビ畑に変わったが,本土政府の貿易自由化のため買入れ価格はたたかれ,さらに台風に傷めつけられたのでは農民こそ踏んだり蹴ったりである。それでも宮古一面は砂糖屋である。
屋根の鬼瓦はしっくいで補強され,沖縄焼の唐獅子が台風の魔よけとして屋根に飾られている。地震の少ないため土台は簡単につくられ,屋根に大変手をかけて建築されている。
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