沖繩の公看活動 第4回
蝿と蚊の島渡名喜
浦野 元幸
pp.50-51
発行日 1969年7月10日
Published Date 1969/7/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662204466
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沖縄の公看(公衆衛生看護婦の略)15周年記念誌にのっている"蝿は島の高等官",それは以前渡名喜村に駐在していた福地春子君の書いたものである。那覇から小形船で4時間,慶良間列島のなかの一離島のことであった。島の人々はうちの島の蝿は病菌なぞもっていないきれいな蝿だといってたたこうともせず,蝿様は大顔でゆうゆう飛びあるいているというのである。"やれうつな蝿が手をすり足をする"一茶の句の上をゆく生活であったという。私が秘かに期待していた大城よし子君の渡名喜駐在が発令になったのは1966年12月,暮近い頃であった。本人は顔面蒼白,無理もない,公看にとって離島駐在は流島に等しい心境に追いやられるからである。上司の言葉さえ反対はもちろん,自分の意見を思い切って言えないのは,うかつに睨まれでもしたら離島へとばされるという疑心暗鬼からである。何故離島の勤務がそれ程つらいのだろう。
保健所はとにかく雑用が多くて追いかけられ離島にまで手が回らない。村役所はもちろん,住民も病気が発生すればさわぐくせ,理解を示さない。島は閉鎖的でよそものにきびしい。迷信,根づよいしきたりがあって保健活動どころではない。全く文化的生活から隔絶されるばかりか,話し相手もなしに生活しなければならないからである。食物は偏る,電気,水にも恵まれない。
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