書評
ポール・ロブスン 著—「ここに私は立つ」
原 誠
pp.54
発行日 1959年11月10日
Published Date 1959/11/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662201977
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人種差別との斗い
「敗戦の落し子も,いよいよ小学生」というような記事を新聞や雑誌でみたのが,ついせんだつてのような気がしていたが,彼らも最近では,傷つきやすい魂の,ローティーンに成長している.敗戦の落し子というのは,いうまでもなく日本に生れた混血児のことだ.街を歩いても,電車に乗つても,しばしば髪の毛色の違う,皮膚の色の異様に白い,或いは異様に黒い少年や少女をみかける.アチラの子供かと思うと,そうではなくて,我々と同じ,ナマリひとつない日本語を喋べり,なかには下駄ばきの少年もいる.そうした少年少女を見たとき,まず私たちは,私たちの生活感情にそぐわないチグバグな感じをうけ,そしてやがて,ひとつの罪悪感にとらわれる.髪の赤い少女や,皮膚の黒い少年を生んだ,彼らの父母に罪を感ずるのではなくて,彼らとは無関係なはずの私たち自身の内部に,ある種の痛みを感ずるのだ.
最近のアメリカのニユースで,黒人が白人たちから私刑に処せられ,虐殺されたというのがあつた.その黒人というのは,ある白人の女を犯したという嫌疑で入獄させられていたところ,怒り狂いたつた白人たちが彼を牢から奪い出して,縛り首の刑に処したというのである.さながら西部劇もどきの不法なリンチが,20世紀後半の法治国家の法をおかし,破牢などという野蛮な行為をおしてまで行なわれたというのは,まつたく信じられないことである.
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