読者の声
生きがい
佐藤 ひろ子
1
1近畿保健婦専門学院
pp.72-73
発行日 1956年1月10日
Published Date 1956/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662201107
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何故保健婦になつたのですか? と真面目な顔で,或る何かの期待と好奇心をもつて,この様に問いつめられますと,こちらも又,「何故その様なことをお聞きになるのですか?」と反問したくなります.何故なつたのか? そういうことを考えるのを忘れていた程,この道に入りこみ,これが私の当然の生きる道なのだと思いこんでいた入学以来の4カ月でした.大きな夢も希望もありません.そんなにしやちこばつて生きる人生でもないと思います.では何を求めていらつしやるんですか? とお聞きになるかもしれません.考えてみます.
あの混乱した世相をもたらした敗戦以来,すべての物に対する価値判断が目茶苦茶になつた様な真暗い混迷を貢えたあの年以来,どう生きたらいいのか,何が本当なのか,どうして? 何故? 執えうに繰り返して生きてきました.両極端の間--マルキシズムとアトリシズムの間でもがいていました.この時の苦しみが今でも私の中に残つていて,其後の私の生き方に大きな指針となつている様です.高校3年の時に,社会科の先生が"知性の限界とその解決法について"書きなさい,と題を出されました.今思えば何とまあ身の程知らずの題材に取つくんだものだと思いますが,その時は真面目でした.その時出した解決法の結論は,知性を愛と実踐力と言うとりかぢによつて,運行していかねばならないと言うことでした.
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