連載 高齢化社会の福祉と医療を考える・6
老人の生きがいについて
木下 康仁
1
1立教大学社会学部
pp.178-181
発行日 1987年2月1日
Published Date 1987/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661921645
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なぜ“老人の生きがい”なのか
老人たちに生きがいを持ってもらうために社会として対策を講じなければならないということが,日本中でまことしやかに言われている.評論家,学者,ジャーナリスト,政策立案者,行政担当者などの人々がそれぞれの立場からこの問題について私たちを啓蒙してくれているし,一方には当事者である老人と呼ばれる人々がうなずきつつ彼らの意見に耳を傾けている光景がある.私たち自身こうした現状にさして疑問を感じていないようであるし,老人たちから怒りの声が聞かれたという話も聞いたことがない.しかし,この状態はどこかおかしいのではないだろうか.
私たちはまず“生きがい”という言葉にこだわらなくてはならない.単にジャーナリスティックな用語にとどまらず,今や公的用語にもなったこの言葉の意味を明確にする必要がある.そして,この言葉がなぜ“老人の”という限定つきになるのかを考えねばならない.なぜ成人の生きがい,男(女)の生きがいではなく,老人の生きがいという表現で問題化されるのだろうか,また,仮に生きがいというものが本質的に個人の領域に属するものであるとすれば,老人の生きがいが,個人とは対極にある社会のレベルに置き換えられ,1つの社会問題として論じられる理由は一体何であるのかを分析しなくてはならないだろう.
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