SCOPE
京都・堀川病院共済会食堂での外来食への取り組み—「家ではとてもこんなに上手に調理できません」
pp.124-125
発行日 1989年2月1日
Published Date 1989/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661923167
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古都京都・西陣地区の住民有志が50円,100円という額のお金を持ち寄って,自分たちの診療所をつくったのは,戦後間もない1950年のことであった.これが,西陣健康会・堀川病院(院長・谷口政春〉の前身「白峰診療所」である.病院は8年後の1958年2月,わずか22床で開設される.それから30年を経た昨年(1988年),第5次増改築工事が完了,病院は8階建てに,病床数も210床に増床された.
これを機会に,入院患者食の厨房とは別に,職員,外来者,付き添いの人も利用できる食堂(レストラン『リバティ』)を共済会組織として発足させ,職員の食生活の充実を図る一方,眺望のよい7階に入院患者の食堂を開設するなど,『食』への取り組みを強化している.
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