看護に生かす交流分析・15
末期医療に生かす交流分析[2]
白井 幸子
1
1国立療養所多磨全生園
pp.941-944
発行日 1982年8月1日
Published Date 1982/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661922851
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心と心を通わせて
交流分析においては,人が最も切実に求め究極的な価値をおくものは,‘ほかの人々との親密な交わり’であるとされる.親密な交わりを求めながら,それができないために,私たちは寂しさのあまり自分以外の人々を心理的ゲームに巻き込んでまで,人々とかかわりたいと思うのである.そして,おそらく長い人生において,死に直面している時ほど,私たちがほかの人々との親密な交わりを真に必要とし,それを有難く思う時はないであろう.私たちは,だれでも例外なく,やがては死と向かい合わねばならない(なんと恐ろしいことだろう!死を逃れて人生を生き延びた人は1人もいない).また看護婦として,肉親として,あるいはボランティアとして,死に直面している人の看護をすることになる人々も多いことと思う.
いずれの場合でも,私たちが死にゆく人にかかわる時の状況は,人生のほかのいかなる状況とも異なる特殊なものである.というのも,死に直面しているこの患者とのこの出会いは,二度と繰り返されることのない,‘これが最後の出来事’だからである.つまり,患者が逝(い)ってしまってから‘ああしてあげればよかった’‘こうしてあげればよかった’といくら悔いても,そうしてあげる機会は二度と与えられないのである.
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