プロフィル
〈井部俊子〉聖路加看護大学大学院第一期卒業生—「何を目指して看護するかをはっきりさせたかった」
吉
pp.945
発行日 1982年8月1日
Published Date 1982/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661922852
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母親が助産婦で、中学生のころから「聖路加は看護では最高の教育をしているのだ」と聞かされていたため、看護婦になるのだったら、聖路加に入って一流の看護婦になりたいと思っていた。しかしジャーナリストへの思いも強く、大学受験ではその方の学校も受けた。結果として、聖路加看護大学だけが受け入れてくれたので、ジャーナリストの道はあきらめ、看護婦への道をスンナリと選択した。
大学を出て聖路加国際病院の臨床で十一年。「そのくらい働いていると、自分の足りない所が出てくるし、知識のなさに気づいてもくるし、今まで何を目指して看護していたかがあいまいだったので、それを明確化したい、そして看護過程を科学的に学びたい」と思って、聖路加大学に大学院ができるとすぐに入学した。
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