連載 自立のための援助論—セルフ・ヘルプ・グループに学ぶ・13
援助者が援助されるとき—再び「当事者体験」について
久保 絋章
1
1四国学院大学
pp.712-717
発行日 1987年7月1日
Published Date 1987/7/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661921768
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前回は,長島愛生園の石田雅男さんの「当事者体験」を中心に述べた.そこでの問題意識は,「はたして第三者が当事者の体験を共有できるのだろうか」という問いである.本誌に原稿を送る直前に,石田さんにあらかじめその原稿を読んでいただいた.彼は,友人にも目を通してもらったらしい.石田さんの感想は,「よく受け止めてくれていると思います.しかし無いものねだりかもしれないけれど,やはり本当のところは分からないだろうなあと友人とも話し合ったんですよ」というものだった.
私は私で「そうだろうな」と素直に納得していた.「本当のところは分からない」ということが,いつも自分の大前提になっているからである.安易に「分かった」などとはいえない,とよく思う.本当に相手の中に入るには,『春琴抄』の佐助のように,自分もまた針で目をつぶすしかないという世界を肯定しないわけにはいかない,と思ってしまう.
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