連載 高齢化社会の福祉と医療を考える・11
「ねたきり老人」を考える[3]—心の世界の活性化
木下 康仁
1
1立教大学社会学部
pp.700-703
発行日 1987年7月1日
Published Date 1987/7/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661921766
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前回は「ねたきり老人」を,意識はしっかりしているが身体移動の困難な老人ととらえ直した上で,身体移動の極小化と極大化という概念を提起し,それらがこうした老人のケアとどのようにつながっているかを,電動車椅子を例に考えた.つまり,歩行を人間の移動の基準点と考えた時,私たちの社会は一方ではジェット機や新幹線に代表されるような,高速・広域移動がますます日常的現実になっているにもかかわらず,もう一方では自立歩行は言うに及ばず自分の身体を動かすことが困難になった多数の老人を出現させているのであり,しかもこうした老人は高速・広域移動が進むに連れて将来的にはその数が大きく増大すると予測されている.こうしたパラドキシカルな現象を身体移動の極大化と極小化と考えたのであった.そして,歩行という基準点にできるだけ近づける努力をしない限り極小化の力には抗し難いということ,また,そのためには極大化を可能ならしめた科学技術の応用と,本人の意欲と,彼を取りまく優しいコミュニティが必要であると指摘した.日常の行動圏を屋外にまで広げ,できるだけ自分の意志で動くことが重要であると述べた.
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