特集 呆けの老人と家族が求める地域看護—呆け老人をかかえる家族の会・千葉支部の活動を通して
家族がしなければならないこと家族ではできないこと—介護者として10年,ボランティアとして3年,呆け老人とかかわってきた中から
永島 光枝
1
1呆け老人をかかえる家族の会・千葉支部
pp.1115-1120
発行日 1984年10月1日
Published Date 1984/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661920894
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‘呆けている’という状態の背後には,実に沢山の前置きがあります.それはその老人の生きてきた経路であり,健康上の過去,精神の過去,子供とのかかわり,親とのかかわり,時代とのかかわりなど,実に70年なり80年なりの人生を背負った上の‘呆け’なのですから,若輩の者が,それにかかわるのは潜越と言うべきかもしれません.
一方,それを看取る家族の側は‘呆け’ということにはじめて直面する時,残っている機能と失われた機能のバラツキに惑わされて,老人の全体像がつかめなくなっています.‘人が変わってしまった’と思う一方で,健常だったころのイメージが心に残っているので,家族自身も目の前の姿を認めたくない.そして老人と自分,あるいは自分の中に残る老人のイメージとの確執に疲れてしまいます.
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