フレツシュ婦長
阿部 節—山形県立中央病院放射線科
本誌
pp.361
発行日 1982年4月1日
Published Date 1982/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661919510
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何事も経験と思い,郷実里より遠く離れた東京学医学部付属看護学校へ入学.折しも安保闘争のさなかで,学校全体に熱気が満ちていた.政治についても考えるかでヒッチハイクなど若さにまかせて学生生活を謳歌した.卒業後,同付属病院に勤務し,間もなく県立中央病院へ1981年4月より放射線科の婦長に.同科でも末期患者の増えている現状になる.これまで経験した麻酔科や脳外科などでは、いわば動的なケアが多く要求されたが,ここでは自分自身を患者の置かれている状况に見合つた形に対応させる静的なケアも要求される.
これからの抱負を.‘患者との信頼関係を作り上げることが第一ですね.そのためには,忙しいなかでも患者の目の高さに我々を置いて,ゆっくり話の聞ける時間を作りだしたい,てして少なくとも1日1回は,清拭どスキンシップをとおして個別的にケアできる時間も作っていきたいですね’
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