プロフィル
—能条多恵子—札幌近郊看護研究交流集会で活躍—「一生人間らしく健康を維持できるような看護をしたい」
pp.97
発行日 1980年1月1日
Published Date 1980/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661918869
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高校時代は教師希望で、その勉強をしていたが、家庭の事情で断念。女として自立して生きていける、一生続けられる職業と考えて看護の道を選んだ。鉄道病院に勤めて十九年。ずっと働き続けたいと思ってはいたが、七年前にご主人が癌で亡くなり、なお一層、人が一生人間らしく健康を維持できる、生命を全うすることができるような看護を貫きたいと決心する。
看護をなお深く学びたいという意欲は満々だったのだが、鉄道病院以外で働いた経験はなく、井の中の蛙になってはいけないと常々思っていた。ところが三年前に札幌の勤医協の看護婦たちが継続看護の学習会を仲間に呼びかけた。それに賛同した形で、看護婦、保健婦、助産婦合同の勉強会(札幌近郊看護研究交流集会)を始め、初めからの副実行委員長として、委員長とともに会の実質的な運営にあたる。
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