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はじめに
交流集会―学会(学術集会)によっては交流セッションと呼ぶところもあります。学会に参加した経験のある読者であれば、誰もが一度は交流集会の扉を開いたことがあるかもしれません。
学会は知的活動の集大成です。自分も発表してみたいけど、聴衆から質問が来たらドキドキしそうで、発表には抵抗があるかもしれません。興味のある発表だけでも聴こうかなと参加しても、所属と氏名を名乗って質問する勇気もないかもしれません。そんな折、聴きたい演題がない学会の空き時間に目にとまったのが「交流集会」だったのかもしれません。ただ聴くだけなら気が楽ですが、どんな人が参加するのかわからないし、「交流」となるとちょっと……いや、かなり気が引けてしまいます。思い切って会場の入り口まで行ってのぞいてみたら、「うわぁ、グループワークか」と、くるりと会場に背を向け、立ち去ってしまった記憶はありませんか。
実は最後のくだりは、数年前に交流集会を開催した某学会で筆者が言われた言葉です。「うわぁ、グループワークか」―せっかくテーマに関心を寄せて足を運んでくださっても、そのまま去られては、開催の意味がなくなってしまいます。しかし、その壁を乗り越え(?)参加してくださった方とは、密度の濃い時間を過ごすことができました。まさに「交流」の場です。
学会側も積極的に「交流」してほしくて場を設けているし、参加者のニーズもあるでしょう。しかし、あれだけ学生にグループワークをさせている教員が、自分が参加する立場だと「グループワークをやりたくない」に変わってしまうのですね。
ふと、思い立って「交流集会 学会」とググってみました。出てくるのは看護系の学会ばかり、もしや看護の専売特許と驚きました。筆者は、取り組んでいる研究の関心から、心理学系や社会学系の学会にも足を運んでいるのですが、「交流集会」とわざわざ設けているのを確かに見かけた記憶がありません。たとえば、心理学系の学会ですと、事例発表がいくつも設けられ、その場に行くと、それこそ会場中を埋めつくす人たちがいます。意見交換がとても盛んで、交流集会と名前をつけなくとも十分な交流が行われているのです。
なるほど。交流集会は、グループワークやみんなの前で発言するのが苦手で、引っ込み思案な(?)看護界の方向けなのかもしれません。
私は考えました。「交流」は必ずしもグループワークというかたちにこだわらなくてもよいのではないか、無理に発言を促さなくてもその場にいてくれるだけでもよいのではないか、と。
本稿を通じて、開催する側も参加する側も苦痛のない、心地よい交流集会について一緒に考えてみませんか。そして読み終わった後、「身近な友達や同僚たちと、『ちょっとした交流集会』を開いてみようかな」と思ってくださるとうれしいです。
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