特集 手で思索する看護
自分自身で覚えてゆく看護
石本 ユキヨ
1
1国立熊本病院内科病棟
pp.250-253
発行日 1979年3月1日
Published Date 1979/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661918624
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はじめに
臨床看護婦にとって,活動場面は臨床以外にはない.そこでは,私たちは頭と体を使って看護の場面を展開してゆく.先輩のあとについて回り,がむしゃらに体を使っていた看護の時代から,‘なぜ?’‘どうして?’という風潮が起こって,考える看護の時代へと移ってきたが,その両者の時代を私は臨床看護婦として生きてきた.看護法という方法論的看護を教育され,その方法でもって臨床の場で試行錯誤しながら経験を重ねるうちに,看護を自分のものとして,確かな論理性を加えて生長させることができた,
最近,学生は理論的教育をうけて実習場に出てくる.難しい用語を使い,ややこしい考え方(一貫性のある理論であるけれども,消化不良のままであるとそのように感ずる)をもって,患者の前に立った時,あれだ,これだと頭を使うことが先行して,行動はわずかに言葉の投げかけ程度にしか動けないでいる学生が多いのに気付く.
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