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                                    —丑番澄子—9年間,何度も挫折しかかりました—オクラホマ・バプテスト大学看護学部卒業のフレッシュナース
                                    
                                    
                            
                            
                        
                
                
                            
                            
                                
                                    
                                        
                                        
                                            
                                                吉
                                            
                                            
                                        
                                        
                                        
                                            
                                        
                                    
                                
                                
                                    
                                
                            
                        
                
                
                
                
                
                
                
                
                
                
                
                
                            
                            
                        
                
                            
                            
                        
                
                pp.993
                
                
                
                  
                  
              
              
              
                  発行日 1978年9月1日
                  Published Date 1978/9/1
                
                
                
                DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661918499
                
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- 文献概要
高校2年のころ将来の進路を考える際,看護婦の道が漠然とではあったが浮かんできた.‘看護は科学的な技術だけでなく,自分以外の他人をいつくしむ心のようなもの,幅広い人間性が要求される.非常に多面的なものに思え’その道にチャレンジしようとした.
‘高卒後は大学へ行きたかったし,大学レベルで1つの専門として評価されるような看護を勉強したかった’ということで日本の看護大学を探していたが,数も少なく,何かもう1つ魅力に欠けていた.たまたま,沖縄中部病院にハワイ大学の看護学部教授がいて相談したところ,アメリカの看護大学を勧められ,すぐその気になり渡米.
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