特集 管理から看護へ
患者はなぜおびえるのか—ある長期入院患者の思い出から
伊藤 虎丸
1
1和光大学・中国文学
pp.37-43
発行日 1977年1月1日
Published Date 1977/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661918057
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はじめに
‘昔々,美人と秀才が“肺病”になった時代の終わりのころのことでネ,ボクも例にもれず肺病になって……’期待どおり学生たちはニヤニヤする(このごろの若者は妙に気が優しくて,教師の下手な冗談にもちゃんと付き合ってくれるのである).これという個性的な才能も持たぬ私には,若き日に死に直面しつつ過ごした5年間の療養生活の体験は,大学教師という商売にとっても,ほとんど唯一の,かくれた精神的財産であり,肺浸潤に始まる肋膜炎・腹膜炎・肩胛関節炎・上膊骨カリエス・腎臓結核・副睾丸炎等々のたくさんの病名と,体のあちこちに残る手術の傷あとやカリエスの瘻口のあとの引きつれは,私の大事な勲章である.
思えばあれからもうじき30年になる.あの病院生活の思い出は,私にもかつてあった‘抒情詩の時代’の思い出に重なる.──そのころ“保健同人”という療養誌の短歌欄に投稿したりしていた私に,一度だけ自作の歌をみせてくれた,確か山形出身の看護婦のKさん.彼女が私たちの病室に飾ってくれた小さな七夕飾り.家族の手紙をわざと背中に隠して来てハイと渡してくれたときのいたずらっぽい笑顔.彼女だけではない.
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