特集 いま看護記録に問われるもの
新しい看護記録の試み(1)
門馬 かよ子
1
1聖路加国際病院公衆衛生看護部
pp.1226-1231
発行日 1976年12月1日
Published Date 1976/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661918031
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看護に関する記録については,しばしばいろいろな所でその必要条件やあるべき姿について言われている.しかし病棟で実際に看護する者がどんなつもりで記録しているかといえば,1つには看護が決して1人でできるものではなく,複数の看護婦や医師による働きであるから,直接目にすることのなかった人に,患者の状況を分かりやすくよりリアルに伝えたいためであろう.もう1つは自分の行ったことに責任を持つ証(あかし)として記録するということではないだろうか.
まだ病棟で働いていた時,経験の少なかった私は,正直なところ時間いっぱい動き回り,必要最低限な事柄のみその時刻に記入し,申し送りを終えたあとで初めて記録を書き出していった.その時になってやっと,1日の自分のしてきたことを思い出し,記憶にあることを吐き出すように書き留めた.それは,次にケアする人に少なくとも間違ったことが伝わらぬように,またあいまいな言葉のために思い違いを起こさぬようにと,ただそれだけで精いっぱいだったように思う.その記録が後で資料として用いられることなど念頭にはなかった.
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