ベッドサイドの看護
単球性白血病患者の寛解までの看護の実際
針生 セツコ
1
1東北大学医療技術短期大学部看護科
pp.699-702
発行日 1976年7月1日
Published Date 1976/7/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661917920
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
はじめに
ダイナミックに展開される近代医療には,私たちの目を見張らせるものが数多く,その流れの中で臨床看護は行われていく.医療の高度化の中で,ややもすると‘人間’を忘れがちになりやすいこともないではないが,その中で多忙さを極めつつ走り回る看護婦たちが,患者の不安の除去,苦痛の緩和,安全と安楽,またその現況をよく理解し,心身共にゆとりをもち余裕をもった看護行為をしているかどうか,最近特に強く考えさせられる.
血液疾患患者の強化療法のために,全く培地のようになった人間の身体は,本当に見ただけでその抵抗力は全くない状態であり,一瞬にして全身症状が現れまたは変化してゆく.懸命に行うあらゆる看護の働きかけにも,やがてその生命の灯が消え去る予後不良患者に対しては,看護者自身のなんともやりきれない気持ちといらだちを感ぜずにはいられない.それは臨床看護を実践している者であればだれも一度は経験する,言いようのない孤独感であり,それに耐えねばならないというジレンマではないだろうか.
Copyright © 1976, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.