グラフ 看護の跡をたずねて・6
香港難民街と診療車
石原 明
1
1横浜市立大
pp.84
発行日 1967年11月1日
Published Date 1967/11/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661917464
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ホンコンとひと口にいっても,本当は九竜半島と香港島に分かれ,香港側にヴィクトリア・シティ,九竜側にカオルン・シティと二つの大都市があって,人口の大部分はこの都会に密集している。
第二次大戦後,ことに1949年に中国本土が毛沢東を主席とする人民共和国となってから住みよい香港をめざして,各地から難民の大群が香港におしよせた。その数は正確にはわからないが200万人をこえるという。ことに数年前の大凶作の時には食糧を求めて国境を突破し,カオルン・シティに流れこんだ数はおびただしい。大戦終了の当時約60万人といわれた香港の総人口は約20年間におよそ6倍にもふえている。これらの難民たちに住居と生業と食糧をいかに与えるかが当面の問題である。
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