連載 死と看護・12
精神的治癒の可能性—受容的死
河野 博臣
1
1河野胃腸科・外科医院
pp.1618-1624
発行日 1973年12月1日
Published Date 1973/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661916842
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流れ(プロセス)の中で—体験学的実習
世の中には,死に取り付かれた人を見ることがよくあります.私たちが外来や入院患者の中に見かけるガン・ノイローゼというのが,その例です.また,ばく然と死の不安をもっている人の多いことに驚かされます.近年になって公害が問題になり始めてからは,この種の不安神経症が増加しているのは確かです.
前者のように,ガンというはっきりした対象は,近親の死によって起こされる恐怖によることが多いのですが,依存性が強く,特に何者かの依存を必要とする人の場合に多く現れるようです.一応,簡単な聴診・触診が終わってから‘先生ガンですか?’と質問する患者にかぎって,最近,近親者をガンで亡くしたことを告白します.近親者の看護あるいは見舞いをすることによって,患者への同一化が強くなり,患者の痛みを自分のなかに取り込んでしまい,そこからの分離できない,いわば自律ができていない人にみられるのです.このケースが今日きわめて多くなっています.
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