養成所めぐり
日本赤十字社産院助産婦養成所
pp.45-47
発行日 1952年2月1日
Published Date 1952/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611200043
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
日赤産院は澁谷區宮代町にあつて,白堊の高層建築日赤中央病院と隣り合せであるから同病院の一病棟でもあるかのように見られるが,産院と病院とは夫々特異な性格を有つていて産院は勿論獨立して存在しているのである。序に少しく日赤産院設立の起原に就て述べて見よう。1919年第1次世界大戰終局に際し,日,英,米,佛,伊の5大國赤十字社代表が巴里に於て會議し,初めて赤十字社聯盟が成立し,赤十字社の平時事業の活動範圍を擴大し,世界人類の福祉増進を計るため健康増進疾病の豫防及び苦痛の輕減を目的とする篤志機關の設立と發逹を世界各國に奨勵促進することを約束した。
斯くて1920年聯盟本部は,博く兒童の保育を完全に實施することに決し,それには先づ妊産婦の保護より着手すべしとて兒童保育提要なるものを編集し,之を聯盟諸社に配布してこの事業を推奬した。我日本赤十字社に於てもこの計畫に卒先賛同し,保健的社會事業として妊産婦,乳幼兒の保護診療機關及び助産婦生徒養成所の設立を計畫したのである。これが日赤産院設立起の原となつた。斯くて大正10年4月日赤本社は直營の産院を設立し,之れに助産婦養成所を附設するの議案を本社常議會に提出して協賛可決を得た。依て同年7月より建築工事を起し,翌大正11年3月竣功し同年5月9日開院式を擧け翌10日から叢務を開始した。
Copyright © 1952, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.