連載 日本看護婦物語補遺・4
日本赤十字社看護婦養成所—Ⅳ.北清事変と日赤看護婦
高橋 政子
,
土曜会歴史部会
pp.368-375
発行日 1972年3月1日
Published Date 1972/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661916272
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日清戦争のもたらしたもの
日清戦争は日本の圧倒的勝利のもとに明治28年(1895)4月,下関において講和条約を締結したが,その6日後にロシアはフランス・ドイツとともに新しく日本が領有した遼東半島の返還を日本に勧告してきた(三国干渉).
遼東半島は大陸への進出を目ざしている日本にとって大きなひとつの拠点であったので,これを失うことは時の為政者にとって致命的であった.そこで政府や軍はこうした第三者の干渉に力づくで押しきられた無念さを「臥薪嘗胆」の合言葉でロシアに対する国民の敵愾心をあおることに利用した.そして,いつか当然のことのようにロシアとの戦争にそなえて新たな軍備の大拡張を認める雰囲気をつくり出していったのである.それは清国から得た巨額な賠償金のすべてが軍備拡張費にふり分けられた註1)ことでも瞭然としている.
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