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ずいひつ—吾が陰の旅 その二—萩
阿久根 靖夫
pp.106-107
発行日 1971年11月1日
Published Date 1971/11/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661916184
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いつの頃からであったろうか、吉田松陰という人物にこころひかれるようになったのは。記憶は定かでない。がその全集12巻は今僕の愛読書のひとつになっている。天保元年(1830)8月萩に生まれ、安政6年(1859)10月、世に安政の大獄として知られる事件で江戸伝馬町の獄舎に斬首せられた松陰の生涯は、僅かに30年にも満たぬ。しかし、人がものを学ぶとはどういうことであるか、人はいかに生くべきかとこころに問う時、松陰の短かい生涯がこころに重くおちてくる。
江戸の藩邸を亡命して東北諸国を遊歴しその亡命の罪により士籍を剥奪され、ペリー来航に際して米国渡航を試み失敗し下獄、後に時の老中間部(まなべ)詮勝(あさかつ)を要撃せんと謀り事破れ再び下獄等々、現象的には蹉跌(さてつ)に次ぐ蹉跌を繰り返しながら、松陰は自らのこころを美しくみがいていった。幕末の志士と呼ばれている人達の書き遺したものを丁寧に読んでゆくと、実に心根の優しい人が多かった事を知るのであるが、中でも松陰のそれには胸をつかれることが多い。ひとというものに対して、ひとのこころやくらしのすがたというものに対して、しずかに優しい想いをひそめ得るその事があってはじめて、人の言動は生き継いでゆく事ができる。松陰という人は充分すぎる程にもそういうこころを持っている人であった。
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