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ずいひつ—文学の楽しみ
柏原 兵三
pp.106-107
発行日 1971年8月1日
Published Date 1971/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661917772
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文学の楽しみというよりはむしろ文学書を読む楽しみといい直した方がいいかも知れない。別にテレビを観る楽しさを貶める気持は毛頭ないが、すぐれた一篇の小説の世界の深さと、テレビの1時間ドラマの奥行とは到底比べものにならないという気がしている。ドイツに留学していた2年間テレビのない生活をしてきて、1歳であとから呼び寄せた子供は日本に帰って初めてテレビというものの存在を知った。子供はテレビの番組のひとつを見ながら、ある時妻にこういって頼んだ。今の場面か面白かったからもう一度元来に戻して欲しいと。妻は彼に、本と違ってテレビは見直しができないのだ、といって聞かせたが、それが本当に納得できるまでにはしばらく時間がかかったようだった。
「今」が永遠に戻って来ないという点はテレビも本も同じかも知れないが、少くとも同じ内容を何度でも、自分の欲するテンポで、どこからでも読めるという点では、本はテレビの及ばない利点を持っている。テレビだって再放映されればもう一度見られるだろうが、それは自己ではなくて他者の意志だろうし、それを見るテンポは完全にテレビの時間によって規制されている。見る者は完全に受動的な立場に立たされている。音楽にははなはだ弱いので例を借りたくないのだが、本を読むという行為は極言すれば、演奏家の演奏という行為に一致する、と思っている。文学作品についても同じことで、極端にいえば文学作品は譜に過ぎない。
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