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ずいひつ—吾が陰の旅 その三—東北断章
阿久根 靖夫
pp.106-107
発行日 1971年12月1日
Published Date 1971/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661916208
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冥らかに思想の鞍部見さけつつけふをいのちと旅果ててゆけ 村上一郎
貧しい村というものは、その表情を似通わせる──津軽半島の小泊という寂しい漁村の浜辺につくねんと腰をおろし、そんなことをふと考えた。薩摩半島の南部にある小湊という半農半漁の村で僕は幼年時を過したのだが、この東北のはずれの佗しい村に小湊村のことを想い起こして、茫茫たる心持ちにしばし駆られたことであった。風土の違いというものが人のこころにどのような翳りをおとすものであるのか、風土というものがどのように人のこころにくぐまり続けるものであるのか、僕は知ること少ない。2日間にわたって歩きまわった津軽の町や村は、僕の知る薩南の村とはむろんその相貌を異にしていた。しかしそこから感取されるくらしのすがたかたちというものに対しては淡い共感があった。といってそれは、すでに自分には還らぬものを懐しみいとおしむというのではない。共感しつつも自分の今の在り様を撃たれ続けていたのである。僕は拒まれてはいたが、旅する者にとってそれは常のことだ。小泊と小湊とが僕のこころで重なってみえたとき、そこにはぬきさしならぬ人のくらしと、激しく何かを希求してやまない人のこころとの交錯するさまが、時と所とを越えてみえていたということである。旅のこころというものはこれに関わることはできない。
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