ドクトル巷談
赤いリンゴの歌
広瀬 正義
pp.105
発行日 1969年11月1日
Published Date 1969/11/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661914687
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私は終戦の翌年,戦地から帰るとまもなく,ある結核療養所へ勤めるようになりました。
当時は結核といえば,もっぱら大気安静療法などといって,患者さんは林の中にポツンポツンと建てられたバラックの中で,新鮮な空気を吸い,そして決められた安静度を守りながら療養していたものです。
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