ママさんナース奮戦記
せめて院内保育所がほしい
関谷 鈴子
1
1社会保険中央病院
pp.98-99
発行日 1969年7月1日
Published Date 1969/7/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661914548
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私の場合,看護婦になるのに1年間まわり道をしている。高校を出ると,総理府統計局に勤め,事務系の仕事についた。だれにでもやれそうな,単調な事務処理にあけ暮れする毎日は,私の意に満たなかった。そんな1年間のBG生活が,私に,女性としてふさわしく,また一生を通じてその技術を生かせるような道をという気持を育てていき,看護を選ばせたと思う。そして,その決意は以後一貫して変わっていない。
この病院を選んだのは全くの偶然にすぎない。付属の高看学院を出てすぐ同じ病院の内科病棟に入る。それから歯科の外来,混合病棟と経験する。この間に結婚して妊娠,つわり,入院と続き,眼科外来に回されて現在に至っている。気がついてみたらもう10年目に足をつっこんでいた。回りをみても同期はほとんどいなくなっている。しかし私は結婚をし,子どもができることも,それを可能にするための条件作りにいろいろと悩みこそすれ,それで動揺することはなかった。むしろそうして家庭を営み,子どもを育てる苦労を知ることが,自分の看護婦としての人間を固めていくうえで,当然のこととさえ思えるのである。ただ,あまりに今の社会では,女性のそうした生き方に制約が多く,当然のことが異常にむずかしくなっているのではないか。
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