特集 新潟で起こったこと—看護婦の夜勤体制問題
現地に取材して よりよい看護を追求した“医療闘争”
本誌編集部
pp.28-31,37
発行日 1968年9月1日
Published Date 1968/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661914111
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看護学校を出たばかりの若い看護婦の白衣姿は新鮮で美しい。病み疲れた患者にとって,彼女らのフレッシュな立ち振舞いほど,限りない希望とうるおいを与えてくれる存在はないであろう。しかし2年たち,3年たつと生々としていた彼女たちの表情はくもり,くすんでくる。
過酷な労働条件,なかんずく夜勤。滞積する疲労が彼女たちの魅力を奪ってゆく。「忙しくて,疲れちまって,まともに患者さんのそばにも行ってやれない。自分は看護婦をしていてこんなでいいのかといつも思ってました。これはどこに行ってもおんなじだと思うんですよ。だから今度の県立病院のこともホントに人ごとでない,よくやってくれたという気持です。」かつて人事院判定闘争において先頭に立った実績をもつ新潟大病院の一看護婦の感想である。わずかばかりのこの言葉のなかに,新潟県立病院夜勤制限闘争のすべてが語りつくされているといっても過言ではない。
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