紙上美術展・3
新緑の古都—東大寺②
金子 良運
1
1国立博物館
pp.48
発行日 1953年6月1日
Published Date 1953/6/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611200372
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大佛殿を出て廻廊にそつて左に曲ると,右手の低地の向うに松林を透して一段と高く戒壇院の石段と白塀が見えています。ここには前號に載せられている多聞天像やこの増長天像など,奈良時代の傑作の一つに数えらる塑造の四天玉像が安置されています。今の戒壇院の建物は永祿10年(1567年)三好松永の戰乱によつて炎上し,元祿にたつて復興されたものですが,堂内の三重に築かれているもので,時にこの土壇は「十師授戒の羯磨」といわれる一人前の僧侶となるための重要な儀式を行う場所として,もとは俗人は勿論のこと坊さんの方達でも濫りに壇上に登る事が許されなかつたほど神聖な所なのです。
廣目天,増長天,持国天,多聞天の四天王の像は,佛法を四方の外敵から守護するためこの壇上の四隅に立つています夫々甲胃に身を固め,足下に惡魔を現す邪鬼を踏なつけ手には経卷,劔,矛,宝塔などを持つて,あるは射すくめる上うな破邪顯正の目ざしを,あるは念怒の形想物凄く,人をして思わず襟を正さしめる尊嚴さなたゝえています。じつと一點を凝視している叡智に輝くするどい目,大聲一喝よく魔軍を退散させるであろう躍動する顔面描寫の素晴しさ,そして内に包まれた隆々たる體躯すら想像させる鎧のいかつさ,或は瞳の黑耀石など,いずれも寫実主義を極度に高揚させた奈良彫刻の粹とも云えるでしよう。
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