てんてき
忘れられない英国のナース
田付 景一
1
1駐イタリー大使
pp.21
発行日 1968年1月1日
Published Date 1968/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661913831
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人間というものは,丈夫な時は病気のことなど全く忘れて勝手な振舞をしているが,ちょっとでも苦痛や違和があったりすると急に大病になったのではないかと心配し,先生方を煩わすことになる。つまり何か身体に異常を感ずるとすぐお医者さんのことを考えるというわけである。それはそれで至って当り前なことではあるが,病院における看護婦さんの重要性というものが,特に日本では閑却されているのではないかと思われる。
私は不思議なことに外国で3回ほど生死の間を彷徨った経験がある。最初は外交官になりたてでフランスに行き,語学の勉強中,友人とフランスー周を自動車でやることに定め,出発したところ,なんと第1日目で事故を起こし,私は左のコメカミの動脈を切り,しかも田舎のことで付近にお医者もおらず,やっと応急手当をされて救急車で病院に着いた時は大分出血していたようだった。そのためか傷口の縫合の時に麻酔もしなかったが,弱っていたせいかそんなに苦痛ではなかった。その頃(昭和7年)にはまだ輸血が十分普及していなかったのか,ポパイで有名なほうれん草のすったものとか,馬の赤黒いような血を飲まされたことを覚えている。病院はツールにあるカトリックの病院で,看護婦さんたちは年をとった人が多かった。なかなか親切で,こちらもまだ若かったせいか子どものように世話してもらった。馬の血を飲まされたというので,これからは鹿の肉は食べぬことにしようと笑ったものである。
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