歴史の女性
三浦環—日本初の国際的オペラ歌手
福地 重孝
1
1和洋女子大教授
pp.104-105
発行日 1965年9月1日
Published Date 1965/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661913732
- 有料閲覧
- 文献概要
科学者野口英世や北里柴三郎などが日本の学界でその業績が正当に評価されず,海外で彼らの業績が騒がれ,やがて日本で再認識されたという歴史があった。また戦後,日本の優秀な科学者が日本での研究に見きりをつけて海外におびただしく流出する傾向のあることを問題とされたことがあった。これは科学者の待遇やそのモラルを云々する前に,そうしたすぐれた個性の成長し難いものを持っている日本の土壌,風土に問題があるのであって,そのことは世界的なオペラ歌手,三浦環の一生についても,あてはまるように思う。世界の三大「お蝶夫人」の1人といわれ,「マダム・バタフライ」すなわち「三浦環」は,作曲家プッチーニから「私が多年夢みていた理想的な蝶々夫人をはじめてみいだした」とまで折紙をつけて感嘆された。彼女は1914年(大正3)の渡欧から1932年(昭和7)の帰朝まで,その活躍舞台は彼女の生れた祖国日本の地の上でなく異国のオペラ界での活躍であった。そのなつかしい祖国にもどるまで,お蝶夫人を演ずること2000回,帰朝の翌年歌舞伎座で2001回目の「お蝶夫人」を演ずるまでは,彼女の存在は正しく日本に評価されなかった。声楽家としての三浦環は近代日本の生んだ超日本人的な,歌手として名実ともに国際的音楽家としての資格を持つただ1人の日本人であったのにかかわらず。
Copyright © 1965, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.