ものがたり・日本の医学・事始・12【最終回】
佐藤尚中
しまね きよし
pp.85-87
発行日 1967年12月1日
Published Date 1967/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661913452
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■佐倉藩の医療制度を改革
松本順については,すでに述べた。順は佐藤泰然の次男であったが,泰然の後を継いだのが,この佐藤尚中である。尚中は泰然の実子ではない。泰然は実子をそれぞれ独立させて,塾生のなかから尚中をえらび,自分の後継者としたのである。
尚中は文政10年4月8日に,小見川藩医山口甫仙の次男として生まれた。舜海と号した。江戸に出て,寺門静軒から儒学を学び,のち,安藤文沢のもとで医学を学んだ。このときに,ひとつのエピソードが残されている。
「嘗て隣坊に争闘して大傷を負へるものあり。急に文沢を招き治を乞ふ。たまたま文沢出でて家にあらず,尚中即ち縫女が用ふる所の鍼線を借り,馳せ赴きて創口を縫合すること二十余刺,而して挙止自若,豪も難める色なし。時に歳甫めて十有六なり。己にして文沢帰り来り,之を観て驚嘆して日く,是れ実に国器なり,久しく我門下に屈すべからざるなりと。因りて佐藤泰然に就きて学ぶことを勧む。けだし泰然は当世の良医にして,最も外科に巧みなるものなりといふ。是に於て尚中大に喜び,去って賛を泰然の門下に執り,蘭書を講究し,兼ねて手術を習練す。」(碑文)
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