プロフィル・4
佐藤重一教授
F生
pp.562
発行日 1959年7月20日
Published Date 1959/7/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1492202283
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佐藤先生が本年3月一杯で東京慈恵会医科大学の主任教授を辞せられて,名誉教授となり一応大学の第一線から隠居された。
教授は明治26年10月千葉県の滝口家で生れ,本年65歳,中学の頃慈大耳鼻咽喉科教室の創設者金杉英五郞先生の高弟である識見高い佐藤信郞博士の養子として迎えられ,独逸協会中学,第一高等学校を経て,東京帝国大学医学部を大正10年に卒業された。昭和3年に講師,帝国女子医専(現在東邦医科大学)の教授を兼ね,昭和4年に日本に於ける耳鼻咽喉科学最古の歴史と伝統を誇る慈恵大学の教授として迎えられ,その後30年間幾多の俊鋭を育てられて来た。その間昭和12年第12回日本耳鼻咽喉科学会に於ては「聴器結核」の宿題報告,本年の医学会総会に於ては「ストレプトマイシンの聴器に及ぼす影響」の宿題報告を行われた。弟子には高橋,名越教授を始め,学会は勿論の事,医政方面の河島,井沢氏ら各方面に幅広く第一線の弟子を育てられた。これは教授の偏狭でなく,各自の特性を活かし,自由に伸び伸びと指導された結果であろう。現在数多くの要職を兼任されていられるが,社団法人日本耳鼻咽喉科学会の常任理事として一番面倒な社会保険,会計を担当されていられる。此の点から考えて,どんな厭な仕事でも面倒な事でも,黙々と責任を持つて引受けられる。内在する強固な意志をもたれている事が伺い知られる。
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