連載 医者も知りたい【医者のはなし】・58
順天堂第二代堂主・佐藤尚中(1827~1882) 東京順天堂を創設した医者
木村 專太郎
1
Sentaro Kimura
1
1木村専太郎クリニック
pp.786-790
発行日 2013年8月25日
Published Date 2013/8/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408102793
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順天堂第二代堂主である佐藤尚中(図1)は,下総国(現千葉県)佐倉に順天堂を開いた佐藤泰然の養子であり,明治2年(1869)に新政府から医学校取調御用掛に任じられた佐賀藩の相良知安と福井藩医の岩佐純たちにより,大博士の称号で東京大学の前身である大学東校校長として迎えられた.その折に名前を「佐藤尚中」と名乗るようになった.尚中は明治6年(1873)に大学を辞して佐倉から東京下谷練塀町(現秋葉原)に順天堂を開き,明治8年(1875)に湯島に順天堂医院を開設した.連載第49回に順天堂初代堂主の佐藤泰然と第51回に第三代堂主佐藤進をすでに書いているので,第二代目を書くと初代から第三代目までが完成する.筆者は東京谷中墓地にある尚中の記念碑とお墓を数年前に訪れたことがあった.平成25年のゴールデン・ウィークを利用して,千葉県香取市のJR小見川駅で降り,内浜公園(図2)として保存されている尚中の生誕地を訪れた.その中に尚中生誕地を顕彰した大きな碑がある(図3).
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