てんてき
安心して医療を!!
早船 ちよ
pp.21
発行日 1967年7月1日
Published Date 1967/7/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661913202
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「だれか,うちでも,医学やるものがいないかな6人も子どもがいる,そのなかでひとりぐらいは……」夫が,冗談とも本気ともつかない口調でいったとき,「あたしが,なる」とこたえたのは,小学4年生ぐらいだった長女でした。6人きょうだいのなかの,ひとりの女の子です。
それは,もう14年もむかし,わたしたち一家が戦時疎開していた農村を,ようやくの思いで都市へひきあげてきたばかりでした。そのころ,生後52日の五男を感冒による無熱性の肺炎で亡くしました。まだ,ママの顔もよく覚えていない五男は愛称をよばれると,うれしがって,だっこされていても足をつっぱって,ぴょんとはねるのです。よく笑うことと,そのくらいしかできない赤んぼうです。その冬は,とくに寒い冬でしたが,不注意から風邪をひかせました。千円そこそこ持っていたかどうか……その日その日の生活に追われるなかで,顔見知りのない新しい土地でしたし,すぐ医師へかけつける決心がつきかねました(たしか,あのころ,クロロマイセチン1錠320円ぐらいしたと,おぼえています)。だから,千円だけの金で,その夜すぐに家へきてもらうのが,怖かったのです。あすのあさになれば,元気に笑うだろう……という,祈るような心頼みが,手おくれのもとになりました。
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