看護の潮 ゆたかな人生への出発
看護人生相談—あなたの心の糧に
愛と経験と研究と—医師のみた看護者
神崎 三益
1
1武藏野赤十字病院
pp.39-43
発行日 1967年3月1日
Published Date 1967/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661913071
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45年間の赤十字生活の中で
私は関東大震災の前年に東京大学を卒業して,直ちに渋谷にある,当時日赤本社病院といっていた,今の日赤中央病院の内科に入りました。その後秋田日赤に変わり今の武蔵野日赤に移って,45年間1日も赤十字から外へ出たことがありません。したがって45年間,看護婦さんといっしょに働いてきたわけです。そういう点からいいますと,医者の中でも最もよく──とはいいませんが,長く看護婦さんとともに働き,また看護婦の教育もして看護婦のことは相当よく知っているつもりです。
今の日赤中央病院には14年いました。14年間平医者でしたから当直もずっとしていました。したがって深夜の看護婦さんが,どんな勤務をしているかということもよく知っています。その当時は階級制度がきびしいので,3年生と2年生が夜勤についていると,他の病室で重症ができたので夜中に起きたついでに,もう一つこっちにも重症がいたはずだからと思って,フェルトのスリッパで行ってみると,3年生は大きな湯上がりタオルを頭からかぶってスヤスヤとお休みになっている。起きている2年生がつつくわけにもいかずまごまごしているうちに気がついてパッと起きるやいなや,そこにあるキャップをかぶって「異常ありません」と,なるほど異常がないからスヤスヤ寝ていたんだろうと思いますが,そういう場面にも遭遇して,だいたい仕事ぶりも食べっぷりも,また遊びっぷりも知っているように思います。
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