日本看護史の旅・9
蘭学発祥の地(東京)
石原 明
1
1横浜市大
pp.1
発行日 1966年9月1日
Published Date 1966/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661912856
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東京都中央区明石町は明治のはじめは外人居留地であった。そのさらに昔は鉄砲洲といわれ,豊前中津藩奥平の殿様の下屋敷のあったところである。この場所はいろいろな意味で看護史上忘れることはできない。年代順にいえば,まず蘭学発祥の地として記念すべきである。明和8年(1771)3月4日に杉田玄白ら6人は江戸の北郊千住小塚原の刑場で人体解剖を観察し,オランダの解剖書の翻訳を思い立った。帰途この無謀にもひとしい計画はすぐに具体化して,明5日に前野良沢の家に集まることになった。良沢はいくらかオランダ語を解したので,彼が中心になったのである。この良沢は奥平侯の侍医で下屋敷内に住んでいた。1年半ばかり何回となくここに集まってついにわが国最初の本格的な翻訳書である「解体新書」が完成し,西洋医学がはじめて根を下した。いま聖ルカ病院のロータリーに“蘭学の泉はここに”と題する記念碑が建っている。その2は幕末のころ,中津藩士であった福沢諭吉がここで“慶応義塾”の看板を掲げたいわくの場所である。100年記念の碑が,蘭学の碑と巧みにカップルになって往時を物語っている。その3は居留地外人病院が発展した聖ルカ国際病院と看護大学がそびえている。聖ルカ病院における看護教育はわが国の近代看護に大きな影響を与えていることは周知の通り。築地から散歩かたがた歩いてもよく,東京駅前からバスで行けばいくらもかからない。
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