連載 整形外科と蘭學・5
整骨術と蘭学
川嶌 眞人
1
Mahito Kawashima
1
1川嶌整形外科病院
pp.1206-1207
発行日 2003年9月1日
Published Date 2003/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408100803
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蘭学の鼻祖,中津藩の医師前野良沢に蘭学を教えた長崎の蘭方医,通詞外科医の吉雄耕牛(1724~1800)は,塾生たちに整骨術を伝授していたことで知られている.蒲原宏氏は耕牛が整骨術を吉雄外科の必須科目として教えていたため,長崎で耕牛の下で蘭学を学んだ医師たちが全国に伝播させていったと述べている1).
もともと長崎は整骨術と関係の深い町であった.元和5年(1619),長崎に渡来した中国人陳によって中国拳法が伝えられ,武術とともに救急法も伝えられた.長崎の浪人吉原元棟は柔術救急法に基づいて正術13法を骨子とした杏蔭斎流正骨術を創業,この救急法が耕牛に認められ,吉雄塾で教授されたことから杏蔭斎流正骨術が世に普及することになった.
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