連載 整形外科と蘭學・19
福澤諭吉と蘭学
川嶌 眞人
1
Mahito Kawashima
1
1川嶌整形外科病院
pp.56-60
発行日 2007年1月25日
Published Date 2007/1/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408100820
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■諭吉と解体新書
福澤諭吉(1985~1901)が郷里中津の先輩である前野良沢たちの労苦に報いるために,杉田玄白らの「蘭学事始」を明治23年(1980)に再版したことはこの欄でかつて述べたことがある.諭吉は自ら序文を書き,辞書もなかった時代に,「ターヘル・アナトミア」を翻訳した良沢たちのパイオニア精神に感涙して咽び泣いたと述べている.諭吉が中津藩に頼まれて創設した「蘭学塾」は,良沢たちがその87年前に翻訳に苦労した中津藩中屋敷と同じ敷地内である.築地の聖路加国際病院前にある中津藩中屋敷の碑文がその場所である.中津藩は良沢によって蘭学を創始し,諭吉によって蘭学に終止符を打ち,英学に向かって大きな舵をきったという不思議な運命に恵まれた(図1).
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