看護の潮 専門看護婦への道
まず専門職としての足がため—脳外科看護婦からの発言
市原 貞子
1
1東大医学部付属看護学校
pp.29-31
発行日 1966年6月1日
Published Date 1966/6/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661912762
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10年前の脳外科と比べると
東大病院における脳外科は,昭和31年に私が当時の清水外科へ配属された時にすでに存在していた。あれから10年後の現在は,独立した講座をもつ教室として存在しているわけであるが,当時のことを少し振りかえってみると,疾病の種類として,交通事故や災害による頭部外傷は少なく,むしろ脳腫瘍の患者が入院の多くを占めていたように思う。その当時の看護婦(私を含めて)が何をしていたのかと記憶をたどると,もっぱら検査と診療の介助に終日追われ,患者と言葉をかわしたり,日常生活の援助行為などはとても忙がしくてほんのわずかの部分でしか接することができず,その中で,看護する喜こびは体得しても,看護の本質において考えることがなかったのを,今さらながら恥かしく思い出す。
当時は,学生教育の中にも,また臨床の場においても,看護の本質とは何か,看護は専門職なのか,看護学の存在云々,といった声も聞かれなかったし,正直なところ,特に疑問にも思わなかった。それ故ただ毎日一定のリズムのもとに,患者の疾病においての理解も乏しく,突如として起こる痙攣発作に驚き入ってあわてふためいたり,身長が2メートルもある巨人症の患者と夜中にトイレでぶつかって肝を冷やしたり,またある時は,躯幹よりも頭のほうが大きく,三角の白目にちょっぴり黒目がのぞいている水頭症の小児に目を奪われるなど,忙しい中にも,変化の多い明けくれだったように思う。
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