文学
見ないと損な雲—佐藤春夫の文学
平山 城児
1
1立教大学文学部
pp.74-75
発行日 1964年9月1日
Published Date 1964/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661912374
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政治家や財界人が死んでも,別になにも感じないが,作家や芸術家が死ぬと,大なり小なり心に響いてくるものがある。時には襟を正すおもいでその記事を読むこともあるし,時には,その芸術家の作品にまつわる自分自身の思い出をあれこれと思い浮べながら,深い感慨にひたることもある。いずれにせよ,なんらかの感動を覚えずに,作家や芸術家の死に対さないわけには行かない。ところが,政治家や財界人の死は,それが余程の人間でないかぎり,無感動でとおりすぎてしまう。これは,自分が文学畑の人間で,もともと政治や経済にうといという理由からくる一種の偏見でもあると思うが,それ以外に,やはり芸術家の死と政界財界の入間の死とには,根本的に違ったものがあるようだ。だれでも騒いだし,事件そのものがショッキングだったから,大体比較にもならないが,たとえば,政治家でも,ケネディの死ぐらいになれば,やはり深い感動を覚えないではいられなかった。人間が,自分とはなんの関係もない人間の死を悼む気持になれるのは,その人間に人間としての深い味わいがなければいけない。日本の政治家や財界人たちは,その点いいようもなく面白くない人間ばかりがそろっている。その意味で作家や芸術家たちは,それぞれ,強い個性の持主である。作品はそれほど面白くなくても,作家の人間に面白味のある人もしばしばある。私は,すべて人間的な人間にしか興味を持てない。
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