名詩鑑賞
水邊月夜の歌—佐藤春夫
長谷川 泉
pp.36-37
発行日 1952年11月15日
Published Date 1952/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661907171
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日本の近代詩は,近代生活と近代的な情緒を平易な口語でうたい出すところからスタートしたが,その場合に當然問題になることは,そのような發想が日本文學の傳統の土壌の上に開花すべきことであつた。近代詩は決して無國籍の浮草文學ではないのである。日本の短詩形藝術は,短歌にしても俳句にしても,特異なスタイルと制約の中に藝階的昇華をとげて來た。最近第二藝術論磯がやかましくなつて,日本の傳統的短詩形藝術は近代人の複雑な思惟や感情を盛か得ないとする批判が強くなりつゝあるが,文化遺産として傳えられて來たそのような傳統の流れが,單に舊いものであるが故に弊履の如く捨て去られてしまつてよい譯はない。佐藤春夫こそは近代詩人の中にあつて,傳統的な古典の雰圍氣を,近代的センスの中に最もよく融合して新しい生命をふき込んだものということが出來る。
彼の家は文學的な香氣につゝまれていた。文學に志すにいたつた事についても,春夫自ら亡父の影響が大きいと語つている。祖母に「戀の山なにをしをりに分け入らむ親に問ふべき道ならまくに」という歌がある。春夫の「殉情詩集」の祖先だともいうべきものであろう。又父には「鈍くとも青龍刀ぞ秘め置きていざなまくらというときのよう」という狂歌などがある。戰爭中に死んだこの父は,手帳のはしに「勝つたびに兜の緒締めふんどしもしめて身動きならぬ苦しさ」と書きつけていたという。
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