とびら
いのちとはなしあい
金子 光
1
1東大
pp.1
発行日 1961年1月15日
Published Date 1961/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661911229
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先日新聞を読んでいたら一隅に,「戦後手にいれた大切な民主政治のもとになる“いのち”とはなし合い“ということを近ごろはあまり口にする人がいなくなつた」という記事がありました。なるほど,たしかにこの2つの大切なことを皆がお互いに守つているなら時々世間をにぎわすいくつかの不祥事件も起こらなくてすむものなのに,と,その記事に大いに共鳴しました。そして,すぐ私の頭にうかんできたことは,その不祥事件のうちの1つである「医療機関におけるストライキ」であります。
ストライキ,すなわち実際上の職員の業務拒否であります。医療機関といえば,生命の不安にさらされている病人をあずかり,その病気をいやすことによつて生命の安全を守ろうとする目的をもつ施設でありますが,その施設の職員が,業務拒否をするということは,病人の”いのち"を大切にしていない事実を現わすものではないでしようか。職員達は更にこう言います。「いえ,職場には保安要員がのこされていますから大丈夫です」と。保安要員というのは何でしよう。工場や会社などがストライキをする際に,最低の業務をつづけうるための本当に最少の人員を職場にのこすことなのでしようが,ストライキをしている病院の中で,何人かの職員(主として病棟に勤務する看護職員)をストライキに参加させてもなお困らないほどの人員をもつ病院があるのでしようか。
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