教養講座 小説の話・31
戦後派の文学
原 誠
pp.42-44
発行日 1959年7月15日
Published Date 1959/7/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661910894
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昭和34年のわが国の最大ニユースは,皇太子の御結婚でしよう。当事者以外には人をよせつけない宮中の内部で式が挙げられ,挙式後,二重橋から出て青山の御所に至る騎馬行列がはなばなしくくりひろげられました。それを見物するために何十万もの人が沿道に集まり,何千万もの人がテレビの前に集まりました。そのため,田舎の小さな町では,みんなテレビのある家におしかけてしまつたので,4月10日は町に人通りもなく,明るい春の陽をあびた道に砂埃が舞いたつているだけでした。日本じゆうこぞつて,皇太子の御結婚の渦のなかにまきこまれていたのです。しかし一部の人のなかには,あの豪華なお祭りにかなり批判的な目をむけているむきもあるようです。俗にこんなことを云つています。「われわれの血税で,あんなゼイタクをするとはけしからん」すると,その隣人が慰さめています。「血税にはちがいないが,君の納めた分なんか,一握りの砂さ」皇太子御夫妻をのせた馬車が進む舗道に,車輪の滑りや動揺をふせぐためにそうしたのでしよう,厚く砂が敷きつめられておりました。われわれの税金なんか,その砂の,しかも一握り分くらいでしかないという皮肉なのです。しかし,こうした皮肉な批判ばかりでなくて,もつと真正面からの厳しい声もあつたようです。24〜25歳の若者を子に持つた,年とつた親たちで,しかもその若者を戦争でうしなつてしまつた親たちの声は悲痛でした。
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