教養講座 小説の話・29
生活の詩
原 誠
pp.46-48
発行日 1959年2月15日
Published Date 1959/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661910795
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「私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない。父は四国の伊余の人間で,太物の行商入であつた。母は,九州の桜島の温泉宿の娘である。母は他国者と一緒になつたと云うので,鹿児島を追放されて父と落ちつき場所を求めたところは,山口県の下関と云う処であつた。私が生れたのはその下関の町である。—故郷に入れられなかつた両親を持つ私は,したがつて旅が古里であつた」—「放浪記」の冒頭に,林芙美子はこのように書いています。これをみても分りますが,彼女は決して幸福な環境に生れたのではありません。そればかりか,彼女の8歳のとき,父が芸者を家にいれたためイザコザがおこり,母は小さな芙美子をつれて家出してしまうというような不幸がおこりました。そして母の再婚。その相手はやはり行商人で,なかなかひとのいい男だつたようですが,しかし生活の貧しさはそれまでよりひどかつたのです。「旅が古里であつた」という芙美子は,「……人生いたるところに木賃宿ばかりめ思い出を持つて,私は美しい山河も知らないで,義父と母に連れられて,九州一円を転々として行商をしてまわつていた。」
小学校へも,木賃宿からかよいました。4年のあいだに,7回も学校が変つたのです。そして12歳のときから学校をやめて,彼女も行商にでました。小学校も満足にでられないような不幸な環境にもかかわらず,彼女には少しもひねくれた,いじけたようなところはありませんでした。むしろ,のびのびとした楽天家だつたようです。
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