講座
癌性胸膜炎の看護について
神庭 安子
1
1岡山日赤病院
pp.35-38
発行日 1958年1月15日
Published Date 1958/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661910515
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患者の紹介からいたします。氏名○木△子,昭和5年10月8日生まれで満27歳で,末婚です。職業はナースとして当院に勤務していました。患者には両親兄弟なく全く孤独でした。母親は患者分娩後死亡しています。死因は不明です。患者は父と祖父によつて養育されました。父は広島の原爆の時,倒壊物の下敷となつて即死しました。祖父は外見上は何の外傷もなかつたが,後日原爆症のため急に死亡しています。患者も学徒動員中に被爆し,手,頸,項部などに外傷を受け,焼跡の家にたどりつぎ漸く家人と逢いました。後,家族と共に田舎に引揚げました。後家族と共に田舎に引揚げました。その後患者は発熱,消化器症状,2次的感染などの重篤なる症状を呈したが祖父の看護の甲斐あつて健康に復しました。その後伯父の家で成人しました。患者は家庭的には恵まれぬ中にありながらも,性格は明朗で陽気な人でしたが,反面自我が強く,我慢な面も多分にあり,感情の激しい人でした。また人一倍清潔家でありました。女学校卒業後当院に入学しました。在学中に被爆の時にガラス破片が腕などに残存していたのを数回に亘り除去しています。当院に就職してからも健康で看護に精進していました。
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