ナースの作文
実際に立場を変えてみて,他
福田 恭子
1
1国立舞鶴病院14舎
pp.201-204
発行日 1957年10月15日
Published Date 1957/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661910464
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今誰かにこう訴えられたとしたら?…ドアを閉めた時に丁度金具の所で指が変型するかと思う程強く挾んでしまつた。その痛い事この痛みが貴人に想際出来ますか?と。他人のこの痛みは或る程度迄は想像出来るかも知れない。しかし本当の痛さは実際に自分が同じドアを同じ力で閉めた時に同じ位置で指を挾んで始めて(各個人の痛覚の発達の差に依つて多少は異るが)本当の痛さがわかるものである。実際に自分がその立場になつてみないと本当の痛さはわからないものである。
此の事は何にでも当てはめて云う事が出来る。私は今私達の職業である看護について此の面から考えてみたいと思う。私は自分の発病に依つてナースとして看護する立場から患者として看護される立場になつてしまつた。そして再び看護する立場に帰る日の近い今此の反省のチャンスにゆつくりと両方の立場を考えてその1部を書いてみたいと思う。ナースは看護に当る場合常に患者の立場になつたつもりで患者の気持になつてと云う事が云われる。これも先きのドアの話の様に実際に自分が其の立場につまりその人と同じ病気になり其の苦しみを味う事に依つて本当の患者の気持,苦しみがわかるものであるが,しかしだからと云つてわざわざ病気になつてみるなどと云う事は全く笑い話である。
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